PART 68

 F・ネットセキュリティでの取材を終えた有希は、土居の車に乗り込むと、はあっと溜息を吐いた。映像流出の防止技術の取材だと思っていたのに、破廉恥な動画を見せられ、恥ずかしがる顔を撮られ、さらにはその下世話な内容を記事にしなければならない・・・同年代の女性アイドルのスキャンダルをスクープにしなくちゃいけないのか・・・やはりそれは、有希にとって耐え難かった。

 「・・・あ、あの、土居さん・・・」
車を出そうとしているカメラマンに、助手席の有希は声をかけた。
「広告代理店が言っていたスクープって、あのことだったんでしょうか?・・・Mさんの、盗撮映像が流出していると・・・だけど私、そんなこと、記事にしたくありません・・・」
有希は一喝されるのを覚悟しながら、必死の思いで言った。土居さえ付き合ってくれれば、アイドルMの全裸動画の存在は世間に出ずにすむのだ。

 「あ? ああ、それは違うよ、有希ちゃん。」
土居は駐車場から出ようとして、周囲の車を確認しながら言った。
「まさか有希ちゃん、今ナンバーワンのアイドルの全裸動画発見、とか記事にするつもりだったの? そんなことしたら、Fテレビグループも、紹介してくれた広告代理店も、大手芸能事務所も敵に回すことになっちゃうじゃん・・・君、S書房を潰す気?」

 「い、いえ、すみません・・・」
有希は訳が分からず謝るしかなかった。とにかく女性アイドルの全裸公開は免れそうな点が救いだった。
「そ、それではスクープというのは・・・放送事故の映像が流出している、ということでしょうか・・・」

 「ばか、何言ってるんだ、君は。そんな当たり前のことがスクープの訳ないだろう・・・君、偉い作家さん担当だからって、雑誌を馬鹿にしてんの?」
土居がすっかり呆れた口調で言った。そして一呼吸して、声のトーンを落とした。
「・・・ごめん、きつい言い方して。スクープで紹介されたのは、次の取材先だよ。今度はきっちりと、使える話を引き出してよ。」
そう言いながら、土居は車を首都高速の入り口に向けた。


 30分後。土居と有希が乗った車は、Fテレビのビルの地下駐車場へと入っていった。

 どうしてFテレビに・・・有希は不思議に思いながらも、どこか話しかけづらくなってしまった土居に訊くこともできず、その後を歩いていくしかなかった。守衛に向かって、アイ・・・と土居が話しかけると、守衛はすぐに頷き、ゲスト用のストラップを2つ渡してくれた。

 ビルの中に入り、エレベーターに乗ると、土居は地下階のボタンを押した。(あれ、Fテレビに取材なら、まずは5階の受付に行く筈なのに・・・)有希は不思議に思ったが、そのまま従うしかなかった。

 『アイリス映像』・・・地下の奥の部屋のドアに表示されたその文字を見ても、有希はピンとこなかった。さ、有希ちゃん、と促され、有希はその扉の横の受話器を取った。はい、と若い女性の声が受話器の向こうから聞こえた。
「はい、いつもお世話になっております。S書房の二階堂と申します。取材のお約束をいただいているかと思うのですが・・・」
相手の名前を確認していないという失態を後悔しつつ、有希はできるだけ丁寧に言った。

 すると、しばらく経ってから扉が開いた。はっとするような美人が顔を出し、有希の顔を見た。
「はい・・・え、二階堂さんって、あなただったの?」
30前後の美女は、どこか妖艶な空気をまとっているように感じられた。そしてきょとんと驚いている表情が、有希にどこか親しみを感じさせた。
「へえ、あなたがこんな取材をねえ・・・どうぞ、歓迎するわ。」

 しかし、その美女に招かれて中に入った瞬間、有希の表情はさっと固まった。壁には大きな裸の女性の写真とどぎつい言葉のポスターがびっしりと貼ってあったのだ。そして廊下には様々な制服・・・それも、どこか破廉恥なものばかり・・・
「あ、あの、ここは・・・」
有希はそれ以上前に進めず、立ち止まった。もしかして、ここはアダルトビデオ会社!?・・・
「も、申し訳ありません、間違ったみたいです・・・」
廊下の奥の一室からは、女性が喘いでいるような声が聞こえていた。

 「いてっ、有希ちゃん、何で後ずさるの?」
有希の真後ろにいた土居が呆れたように言った。
「次の取材先はこちら、アイリス映像さんで合ってるよ。・・・すみませんね、この子、まだ新人なもので。」

 そして会議室に通されるまでの間、有希は何人かのAV男優とすれ違い、突き刺すような視線を浴びせられた。また、AV女優からは品定めをするような、嫉妬のような視線が絡み付くのを感じた。いや、違うの、私は・・・処女の有希にとって、AV会社のスタジオはあまりにおぞましい場所だった。

 『株式会社アイリス映像 社長 葉川真樹』という名刺を渡され、表情を硬くしている有希に着席をすすめながら、真樹はにこりと笑いかけた。
「さ、どうぞ座ってくださいな・・・だけどあなた、どうしてこんな取材しているの?」
会議室でソファに向かい合う形に座ると、真樹は不思議そうに言った。
「あなた、あの、『可愛すぎる教育実習生』さんでしょ? 確か、K大出てるのよね?」

 ・・・そして言葉に詰まっている有希に代わり、ここに至った経緯を土居がかいつまんで説明すると、真樹は手を叩いて笑った。
「あはは、そうなんだ。偉い作家先生の担当の筈なのに、急に代役で呼ばれて、こんなAV会社にまで来ちゃって、最悪、ってとこかな、有希ちゃん?」

 「ち、違いますっ!」
有希は慌てて首を振った。正直、そのとおりの部分も大きかったが、取材相手の前ではそんなことは死んでも認められなかった。
「ぜ、ぜひ取材を、よろしくお願いします。・・・」
有希はそう言ったものの、次の質問が出て来なかった。ど、どうしよう・・・元AV女優と知ると、目の前の真樹の笑顔に圧倒されてしまった。

 「それじゃあ早速ですが、AV業界の違法コピーによる被害について、お教えいただけますでしょうか。」
カメラで写真ををバシャバシャと撮りながら、土居が助け船を出した。

 「そうねえ・・・違法コピーねえ、すっごく、多いのよねえ・・・新作だって、すぐにネットにアップされちゃうんだから、たまらないわ。ただ、なかなかねえ、それをただ厳しく取り締まればよいかというと、難しいかもねえ。」
真樹は顎に手を当てながら言った。つまり、違法ダウンロードしているのは、一方でユーザでもあり、違法ダウンロードで気に入ったAV女優ができれば、新作を買ってくれることもある、という理屈だった。

 有希は頷きながらその言葉をメモしながら、逃げ出したい気持ちで一杯だった。真樹の視線もどこか妖しく感じられた。自分の身体を値踏みしているような・・・
「・・・それでは、F・ネットセキュリティさんが提供していらっしゃるような、違法アップロードの検知・削除サービスはご利用になられないのでしょうか?」
有希は心臓がどきどきするのを感じながら、何とか質問することができた。

 「まあ、あれもお金がかかるからねえ・・・そうね、新作の時は使わせてもらうこともあるわよ。大物女優の新作とか、大型新人とか・・・」
真樹はそう言うと・・・じっと有希の顔を見つめた。
「例えば、あなたがうちからデビューしてくれるって言うなら、その時は絶対違法アップロードなんかさせないけど、どうかしら?」
真樹の大きな瞳が悪戯っぽく光っていた。

 「なっ、や、じょ、冗談は、やめてください・・・」
一瞬、飛び上がらんばかりに驚いた有希は、喉がカラカラになり、掠れた声で言った。
「わ、私なんか、そんな、魅力、ありませんから・・・」

 「あら、ご謙遜ね。あなた、とっても美人だし、AV女優として、すっごい商品価値あるわよ。テレビNでは結構楽しい放送してたしね。有希ちゃん、うちの業界では結構有名人なのよ。」
有希がぱっと顔を赤らめるのを見て、真樹はにこりと笑った。
「ほら、その恥ずかしがり方、すっごく可愛いわ。・・・それに、今日の格好だって・・・濃紺のリクルート風スーツに、真っ白なブラウス、それに薄黒のパンスト・・・知ってる? その格好、男が一番エロい妄想をする姿なのよ。清純そのものって感じでね・・・もちろん、ショーツは純白よね?」

 や、やめてください、と有希が言い掛けたところで、会議室の扉がばっと開いた。そして、サングラスをかけ、髭を生やした男が中に入ってきた。
「ほんと、社長の言うとおり。有希ちゃんなら、いい監督に撮ってもらえば、絶対にトップになれるって。俺みたいなね。」
男はそう言いながら名刺入れを取り出した。
「はい、初めまして。城田と申します。」

 「あ、は、初めまして・・・S書房の、二階堂と申します。よろしくお願いします・・・」
例え相手がAVの監督でも、今はわざわざ時間を取ってもらった取材相手なのだ。有希は慌てて立ち上がり、名刺を差し出した。

 「それにしても、有希ちゃん、実物はもっと可愛いんだねえ・・・うん、大学の時よりも、ちょっとお尻大きくなったかな?」
城田はすっかり有希の身体に夢中になり、撫でさすらんばかりに近づいてきた。
「いいねえ、いかにも清楚ですって感じのリクスー姿! ねえ、ちょっと縛らせてくれない? 軽くでいいからさ。」

 ひいっと小さな悲鳴をあげた有希に、またもや土居が助け船を出した。
「まあまあ、城田さん・・・女優さん、じゃなかった、有希ちゃんが怖がってますよ。」
おどけた口調で言って笑いを取り、城田の気をうまく殺いでから、土居は声のトーンを落とした。
「特ダネを教えてくれたら、少しくらい縛らせてくれるかもしれませんよ(笑)」

 「あ、そうそう、その話をしなきゃいけなかったのよね。ごめんなさい、まさかあの有希ちゃんが来るとは思わなかったから、ちょっと興奮しちゃった。」
真樹がけらけらと笑った。
「そのね、F・ネットセキュリティさんの件だけど、有希ちゃんが思っているような簡単な話じゃないみたいよ・・・」

 そしてそれから真樹は、驚くべき話を始めた。F・ネットセキュリティは確かに優秀なサービスを提供しているが、ネットから削除した様々な動画をクライアントに無断でこっそり裏に流し、暴利を貪っているというのだ。同社のサービスが評判になると、「流出予防メニュー」を作り、最初の1本が流出した瞬間に検知・削除するサービスを始め、人気を博した。しかしそれは同時に、流出しては困る動画を同社に提供することでもあった。もちろん、契約ではクライアントの秘密を私的に利用しない、という条項はあるが、同社はネットに流さず、秘密ルートに提供しているらしい・・・
「・・・全く、天下のFテレビ様のグループ会社なのに、ひどい話よね。あのMちゃんの温泉盗撮動画、かなりの高値で売れてるみたいよ・・・まじめにAV作っているのがばからしくなるわ。」
真樹はそう言って少し肩をすくめた。

 「そ、そうなんですか・・・」
さっき取材した笹倉のメガネ顔が浮かび、有希は困惑した。とてもそんな悪いことをするようには見えなかったが、あるいは彼は知らないだけなのか・・・また、若手ナンバーワン女優の温泉での全裸姿が脳裏に浮かび、有希はいたたまれない気持ちになった。自分も流出しては困る動画が沢山あるので、他人事とは思えなかった。
「ちょ、ちょっと信じがたい話ですね・・・そういうのは、結局表面化してしまうのではないのでしょうか?」

 しかし、その口調はややきつ過ぎた。
「あら、新入社員さんなのに、取材相手の話を信じがたいだなんて、ずいぶん自信をお持ちなのね・・・」
真樹はやや馬鹿にしたような口調になり、鼻で笑った。
「それじゃあ、証拠をお見せしましょうか? お嬢様にはちょっと刺激が強いかもしれないけどね・・・(笑)」
真樹はそう言うと立ち上がり、会議室の扉を開けた。
「大広間の方に来ていただいていいかしら?」


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