PART 3

 話は5日前に遡る。
 浩の「あれ」というのは、5日前から感じている、自分のある能力だった。

 信じがたい話だが、自分は少し、時間を止めることができるようなのだ。しかもその間、物を移動することができる……
 最初に気付いたのは、通学電車の中でだった。椅子に座ってうとうとしていたら、途中駅できれいなOL風の女性が乗ってきて目の前に立ち、吊革に掴まった。浩はうっとりと見とれて、時間が止められるならスカートをめくってみたい、と強く思ったところで、急に電車の音が止み、静寂が訪れた。また、青い靄に視界が包まれた。

 何が起こったか分からなかった。自分以外の皆、凍ったように静止している。自分だけが動くことができる。浩は恐る恐る手を前に出し、OLのスカートを触った。それは手に押されたことに反応し、布がたわんだ。それでは、とそのスカートを捲ろうとしたが、広げた片手くらいの幅しか持ち上げられず、ストッキングに包まれた太ももが露わになったところで止まった。
 次の瞬間、急に電車の音が復活し、自分の身体も時間静止前の位置に戻った。ほぼ全てのことが戻ったのだが、一つだけ異なっていたのは、OLのスカートが捲れたままということだった。気づいたOLは慌ててスカートを押さえ、顔を赤らめた。

 浩はそれから毎日、自分の「能力」を試してみた。電車の中、繁華街、コーヒーショップ……
 何度か試しているうちに、共通の法則らしきものが見つかっていた。それは以下のようなものだった。

・相手をじっと見て、強く願えば時間が静止する。
・静止しているのは30秒間だけ。
・静止が終わると、自分の身体は一瞬で静止前に戻る。
・自分がいじれるのは物体のみで、移動距離は10センチまで。
・相手の身体に直接触ることはできない。ただ、服越しに1センチくらい揉むことはできる。
・一度時間を止めると、次に止められるのは時間再開から1分後。また、同じところは弄れない。
 それは超能力と呼ぶにはあまりにも限られた能力だった。

 ただ、できることはいろいろあるとも思った。超ミニスカの女子のスカートを捲ればパンティが見えるし、スカートのホックを外してしまえば……パンティだって、10センチ下せば……しかし、実際にはそこまで踏み切れなかった。
 その理由は、本当に自分以外すべての人間の時間が止まっているか確信できないからだった。もし、女の子を恥ずかしい姿にするところを誰かに見られたら、それはある意味犯罪だ。複数人に見られたら……臆病な浩は、エッチないたずらはもっと確認してからにしようと思っていた――

 ――――☆☆☆――――☆☆☆――――☆☆☆――――

 夏の高原のテニスコートでは、男子対女子のシングルスが始まろうとしていた。30人ほどの男女に囲まれる中、サービスをしようとしているのは男子の方だった。

 浩は、ボールを何度も地面につきながら考えていた。
(うーん、そうは言っても難しいな。ラリー中に相手をじっと見るのは難しいし……時間を止めてからも、30秒のうちにあっちに走っていかなきゃいけないし……。本当に、この30人全員の時間が止まるのかな……)

「おい、早く打てよ!」
 審判台の武田の叱責が飛んだ。

「分かったよ!」
 浩はとりあえず時間停止をあきらめ、普通にサーブを打つことにした。ソフトテニスを6年やっていたので、サーブは得意だ。いつもどおり、落ち着いて……
「それじゃあ、いくよー」

 パン、という音と共にボールが鋭く飛んでいき、彩のサイドのサービスエリアのフォア側の隅に決まった。
「フィフティーン・ラブ」
 武田のよく通る声が響いた。

 おおっ、とギャラリーがどよめいた。ソフトテニスの厚いグリップから放つサーブは、はまれば鋭く重い球が飛んでいく……さすがの彩でも1歩も動けなかったのが印象的だった。
「いいぞ、滝沢!」
「3割しか入らないけど、入ったらエースだな」
「これが4回続けば……」
「アンスコ脱ぐとこが見れるかもな」
「今日も黄色パンティかな(笑)」
 不埒な男子たちの声が聞こえた。

(へえ、当たればいいサーブ打てるじゃない)
 彩は少し驚きながらも動揺はしていなかった。
(でも、速いだけで返しやすそうな球質だわ。第一、こんなサーブを続けられるはずがない……)

 浩15−0彩、からの2ポイント目。

 浩は何度もボールを地面につき、なかなかサーブを打たなかった。顔は上げて、ネットの向こうの彩を見つめている。
(さてと、時間停止をどうやって使うかだけど、……うーん、どうするかな)

 浩が悩んでいるのには他の理由もあった。時間を止める際、経験上、「止まる瞬間」がそれほど厳密に指定できず、0.5秒〜1秒ほどのタイムラグがあるようなのだ。電車の中でスカートをめくるくらいならそれでもよいが、テニスのプレー中の1秒は大きい。彩がボールを打ってからでは遅いし、あまりに早いと、10センチくらいのずれは対応されてしまいそうだ……では、スコートを捲って恥ずかしがらせるか。いや、10センチだけ巻くれるのはいつものことだ……浩はエッチなことを考えようと、彩の胸を睨みつけていた。

「おい、いい加減にしないとタイムバイオレーションにするぞ」
 焦れたように審判台の武田が叫んだ。

「分かったよ、ごめんごめん」
 とりあえずファーストサーブを入れればいいんだ……浩はボールを高く上げると、思い切ったサーブを放った。しかし、そのサーブはネットにかかってフォルトになった。
 セカンドサーブはいいところに入ったが、彩にバックハンドであっさりリターンエースを決められてしまった。

(よし、決まったわ!)
 彩はいつものように舌をちょろっと出して笑顔を見せた。大きな瞳が得意げに輝いていた。

 コートには同時に、男子のため息と女子の歓声が響いた。
「あーあ、やっぱりだめか」
「滝沢、ファーストでエース決めるしかないんだからな」
「せめてラリー続けて、彩ちゃんのパンチラ見せてくれよ」
「さすが、バックでもあっさりエース!」
「早く終わらせてください、先輩」

 これで、浩15ー15彩となった。

(くそ、あっさり返しやがって……やっぱりうまいな)
 勝ち誇った笑みを浮かべている彩を眺め、浩は考えた。
(そうだ、靴を脱がせば……)
 浩は彩の姿を見て、アンスコを脱ぐ姿を想像した……時間よ、停まれ!

 その瞬間、一気に静寂が訪れ、世界に青い靄がかかった。地面についていたボールが途中で止まっている。
(よし、止まった!)
 浩はネットの向こうにダッシュした。
 10秒で彩のところまでたどり着いた。
(あと20秒ある。落ち着いて靴を脱がすんだ……)
 浩は彩の脇にしゃがみこんだ。目の前に、スコートからこぼれた太ももがどアップになり、少し邪心が湧いた。すべすべでむっちりしてて、触ったら気持ちいいだろうな……
(いや、足には直接触れないし、10センチじゃアンスコも脱がせられないし)
 浩は小さく首を振ると、彩の右の足元に手を伸ばし、左手で足首、右手で靴を掴んだ。

(……あれ?)
 足が全く動かせない。少し考えて分かった。あ、人間の身体は動かせないからか……いや、靴を脱がしたいだけなんだけど……
 左足でも試したが結果は同じだった。レシーブをしようとしっかり地面に両足を踏みしめていては、体を動かさずに靴を脱がすことは不可能なのだ。

 浩は焦った。もう、残り時間は10秒くらいしかない。視線を上げると、ラケットを構えて静止している彩の姿が見えた。
(そうだ、ラケットをずらせば……)
 もっといい方法があるかもしれないが、時間がない。浩はすぐに立ち上がり、彩が握っているラケットを掴んだ。
(動いてくれ……)
 ラケットを引っ張ろうとしたが、指に引っかかって動かなかった。それならばと捻ってみたところ、ラケットは40度ほど回り、面が斜め下を向いた。
(うーん、レシーブするまでに直されるかな……)
 浩はもっとラケットを捻ろうとしたが、その瞬間、風景が変わり、元の位置に戻った。皆のざわめきが聞こえ、柔らかな風を感じた。

(よし、入れるだけで大丈夫)
 浩はボールをすっと宙に上げると、サーブの構えをとった。そして、丁寧に面を合わせてスイングして、セカンドサーブのような緩いサーブを放った。

(きた、もらったわ!)
 彩は内心でほくそ笑んだ。浩は意表をついたつもりかもしれないが、緩急をつけるのは想定していたことだ。しかもコースは大甘で、サービスエリアの真ん中で跳ねようとしている……
(ふふ、これも一発で決めるわ!)
 彩は大きくラケットを引くと、タイミングを計って一気に振り抜いた。また、舌がチョロっと唇から覗いていた。

 ベシッ……ラケットは奇妙な音を発し、彩は手に返ってきた感覚に戸惑った。それは、ラケットの端でボールを打った時の感覚だった。
「え、嘘、どうして……」
 彩は呆然と呟いた。力なく放たれたボールは、ネットの下に当たった。おお、いいぞ、と男子たちのはしゃぐ声が聞こえた。
(絶対おかしい……ラケットの面が変わってる?……)

(よし、引っかかった!)
 浩は手ごたえを感じ、内心でガッツポーズを作った。時間停止をしたことは誰にも気づかれていないようだ……これなら行けるぞ。

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