PART 8

 理絵は研修最終日の屈辱の事件を、洋子と真奈美達の意地悪と、めくったカードの不運のせいだと考えていた。しかし、真相は理絵の全く想像の範囲外にあった。

 最終日の二日前の水曜日の夜、再びFJEとM銀行の会合が持たれたが、結局、M銀行の方から取引を断ってきたのだ。密かにFJEの財務状況を調査していたM銀行は、その不良資産の多さを理由に、今までの態度を一変させたのだ。
「申し訳ないが、FJEさんとは縁が無かった、ということでしょうなぁ・・」
あっさりそう言った加藤の顔を、FJEの幹部達は苦虫を噛みつぶしたような顔で見るしかなかった・・・

 しかし、その後の動きは素早かった。第二の候補として同時進行していた業界第2位、S銀行との取引話を一気に成立させたのだ。最善では無いが、次善の結果に、経営陣は安堵の息をもらした。これで、資金不足に陥る危機は当面無い。

 そして、その余波はすぐに理絵の処遇にも及んだ。そもそも理絵の特別待遇に反対していた人事部長、営業部長が、その係長昇進取り消しを声高に主張し始めたのだ。理絵の昇進をごり押しした社長にしても、こけにされたM銀行に今さら義理立てする必要は無い。理絵の知らない内に、彼女を取り巻く環境は一変していたのだった。

 しかしながら、係長研修に参加している者の昇進を取り消すことは社内的に不可能だった。一旦約束した人事をいきなり取り消す−そんなことをすれば、理絵の特別待遇を遥かに上回るの悪影響が社内に生じるに違いなかった。
 そこで、社長が人事部長と営業部長に与えた命令は、理絵を自ら退社する形に追い込むこと、であった。そのためには多少の無理は構わないが、社外に悪評を広めるようなことがあってはならない、という条件もつけられた。

 その命を受けて、木曜日に営業部内で秘密の緊急会議が行われ、出た結論の一部が金曜のレポート発表への第五課派遣であり、人事部と研修所への全面協力依頼だった。

 金曜日の夕方、作戦が首尾良く成功したことを電話で知った営業第三部長の広田は、(これで辞めてくれればいいのだが・・・)と、気を揉んでいた。広田の上司、営業本部長の永井の命令をいかに首尾良くこなすか、それが広田の目下の課題になっていた。取締役の永井の機嫌を損ねるようなことがあっては、自分の役員就任は夢と消えてしまうに違いない・・・広田は、どんなことをしてでも理絵を辞めさせる決意を固めていた。(ま、これでも辞めなかったら、もっと辛い思いをしてもらうだけだ。うまく行けば、俺もあの生意気女が屈辱に喘ぐ顔を見れるかもしれんな・・・)

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 毎週月曜日の午前10時から約1時間は、営業第三部全員が集合してのミーティングが行われることになっていた。全員とは言っても三十数人なので、中規模の会議室を借り切って行われていた。定刻を5分ほど過ぎた頃、いつもどおり部長の広田が会議室に入ってくる。

 広田の期待を裏切り、その中には理絵の姿があった。(あんな恥ずかしい姿を見せておいて、よく出社できたもんだ・・・)広田は、途端に苦々しい思いに捕らわれる。

 「それでは、定例ミーティングを始めます。」
進行役の黒木が開会の宣言を行った。
「まず最初は人事の発令です。広田部長、お願いします。」

 「えー、加藤理絵君。」
広田はそう言って言葉を切った。

 広田に呼ばれた理絵は、
「はい」
と返事をして立ち上がった。今日はイエローのスーツだが、下はやはりパンツだ。済ました顔で広田の前に出る。

 「えー、加藤理絵。本日より営業第三部第五課係長勤務を命ずる。」
広田は重々しく辞令を読み上げて、理絵に差し出した。

 「は? はい・・・」
理絵は予想外の言葉に驚いた。手渡された辞令を眼で追ったが、その内容はやはり広田の言った通りだった。(どうして第五課なの? 第一課の筈でしょ・・・)

 理絵の疑問に答えるように、黒木が言った。
「えー、加藤君にはこの度、第五課の係長として活躍してもらうことになった。第一課としては大きな損失だが、会社としての利益を考えれば、第五課で全般的なサポートをしてもらった方が良い、という結論に達したためだ。なお、第五課には大友係長がすでにいるが、当面は2人の係長体制で業務を行ってもらうことになる。」

 しかし、理絵には納得がいかなかった。全般的なサポート、と言えば聞こえが良いが、所詮は他課の雑用と尻ぬぐいではないか。どうして成績優秀賞を取った私がそんな担当に・・・しかし、そんなことを口に出来る訳もなく、理絵は黙って席に戻った。屈辱に両手を固く握りしめる。

 ミーティングが終わってから、理絵は第五課に挨拶に行った。理絵をにやにやと笑いながら見つめる洋子と真奈美の視線を感じながら、
「今日から係長として勤めさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願い致します。」
と言って、ぺこりと頭を下げた。

 「うん、よろしくな。僕も君に来てもらって大助かりだよ。研修では表彰されたんだって? 期待してるよ。」
課長の谷村が当たり障りの無い返事を返した。

 「は、はい・・・」
研修の話を出された理絵は、途端に顔を朱に染めた。ここにいる大友、三宅、真奈美、洋子には散々屈辱の痴態を見られているのだ。極力何も無かった振りをしようとしていた理絵だが、四人の視線をまともに浴びてはそれも不可能だった。(やだ、・・・そんなに見ないで)理絵は耐えきれずに視線を落とした。

 理絵の席は大友の正面で、左横には洋子が座っていた。さらに左側に真奈美、人材派遣の昌子、斜め向かいの大友の横には三宅が座っている。理絵の席の後ろは壁で部屋の一番奥だ。第一課は反対側、一番入り口に近い壁側で、部長の席にも一番近かった。すっかり窓際にされたような気分になり、理絵はさらに落ち込んだ。

 しかし、理絵にできることは仕事に打ち込んで成果を上げることしかない。気を取り直した理絵は、各課に挨拶回りをし、何か仕事があったらどんどん自分に回してくれるように頼んだ。(考え方を変えてみれば、ここで頑張れば日本のメーカー、商社のことが全部把握できるようになれるわ)

 研修ではあれだけ意地悪をした洋子達も、思いの外友好的だった。懇切丁寧に雑務を教えてもらいながら、(雑務といってもいろいろあるのね。今まで馬鹿にしててごめんなさい。)と反省する理絵だった。

 こうして、理絵の係長としての初日の勤務が終わった。(はぁ、疲れた。でも、何とかやっていけそうだわ。いつかは見返してやるんだから。少し暇になったから、英会話にでも通おうかしら。)そんなことを考えながら、理絵は帰りの準備をしていた。

 その時、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、洋子と真奈美が立っている。
「加藤係長、今日は係長の歓迎会ですよ。」
「とってもいい店、予約したんですよぉ。」
それは、歓迎会への招待だった。

 「あ、ありがとうございます。喜んで。」
理絵はそう言わざるを得なかった。年次が上の部下に誘われては、断ることなどできる筈も無い。内心は迷惑に感じながらも、笑顔を作りながら続けた。
「だけど、本木さん、その係長、っていうの、やめて下さいよぉ。今まで通り、理絵ちゃん、でいいですから。」
甘えた振りをしてみたが、係長、などと呼ばれてはやりにくくて仕方が無いというのが本音だった。

 一次会は会社の近く、品川のおしゃれな洋風居酒屋で行われた。洋子と真奈美、昌子は楽しそうに飲んでいたが、谷村、大友、三宅の男性陣は勝手が違うようで、若干戸惑いながら飲んでいた。実際、店内にいるのは、カップルか、若い男女のグループだけだ。飲み会はちょっとぎくしゃくした雰囲気ですべり出した。

 「だけど、加藤さんが来てくれて、嬉しいなあ。」
雰囲気を和やかにしようと、大友が口火を切った。
「何て言ったって、FJEでも多分ナンバーワンの美人だもんなぁ。K大でもミスになったんだっけ?」
女性陣の微妙な空気の変化に気付かず、理絵をおだてた。

 「い、いえ、ミスになんかなっていませんよ。」
理絵は慌てて打ち消した。大友は好意で言っているのだろうが、洋子、真奈美、昌子の嫉妬心を刺激するのは、理絵が一番避けたい事態だった。
「それより、五課のみなさんって、いい人達ばかりですよね。私、安心しました。」

 「ミスになってないのは、コンテストに出るのを君が断固として拒否したからだって聞いたよ。本当に謙虚なんだねー」
理絵の努力を無にするように、三宅が言った。
「水着になるのが嫌だったの? いい体してるくせに。」
そう付け加えてにやっと笑った。

 「や、やめて下さい! 何を言ってるんですか!」
これには理絵も慌てた。確かに三宅には、プラタナスでブラジャー姿を、研修所でパンティ姿を見られてしまっている。だけど、それを口にすることは認められなかった。業務上のことを言いふらしたりしたら、許さないから・・・理絵は少し強い視線で三宅を見つめた。

 「そうですよぉ。それって、セクハラですよぉ。」
昌子も理絵に同調した。プラタナスで理絵の痴態を見ていたが、同性ゆえに同情しているのだろう。

 「あ、ごめんごめん、係長さんに失礼なことを申し上げてしまいましたぁ」
三宅は頭を掻きながら笑ってごまかした。

 「だけど、それだけじゃなくて、成績もすごく良かったんだってねぇ。」
課長の谷村が感心したように言った。人事記録で知ったのだろう。
「ほとんど優だったって聞いたぞ。K大でねぇ、大したもんだ。」
今度は女性陣だけでなく、大友と三宅が少し固まるのも理絵には感じられた。理絵は谷村のさえない表情を少し呆れたように見つめた。(どうして私の今の状況を理解してくれないのかしら。そんなだから、40になっても五課の課長なのよ。)冷たかったが、一課課長の切れ者、黒木の方がまだましに思えた。

 結局一次会は、表面的には盛り上がったものの、どことなく固い空気を残したまま終わった。

 一次会は六時半から始まったので、まだ九時前だ。(やっぱり二次会も付き合わなきゃいけないんだろうなぁ。気を使うばっかりなのに。)明日の土曜日には学生時代の友人と会う約束がある理絵は少しうんざりした。

 「では、二次会にいきまーす! みんな、来るわよねえ?」
明るい声で、真奈美が言った。手をあげて、2台のタクシーを止める。
「ちょっとした企画があるから、今度は面白いわよ。」
その笑顔は、どこか毒を含んでいる様に見えた。
 


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